北東に吹き付ける東京湾の風が頬に冷んやりと触れる。
東京都中央区の高層マンションが立ち並ぶ朝潮小型船乗り場から船が出航したのは、平日の昼下がり15時だった。
2月初頭の真冬の空には全体に薄っすらとした雲がかかっている。雨が降り出すかとも思ったが、空の様子とは相反して真冬らしい乾燥した空気が街を覆い、小さな雨粒ひとつ降り出すことはなく船は無事に桟橋を出た。
真っ白な船の側面には「HOUSE BOAT CLUB」と鮮やかなブルーの文字が書かれている。株式会社ハウスボートクラブは “ 顔と顔から心と心へ ” という企業理念を持ち、2007年に創業した。今回取材されていただく海洋散骨『ブルーオーシャンセレモニー』を運営し、これまで多くの人々の想いを乗せて、海へ見送る葬送を実践してきた海洋散骨のパイオニア的な存在だと言えるだろう。代表取締役は、全国の散骨業者で組織する一般社団法人日本海洋散骨協会代表理事も務める村田ますみ氏。12年で確かな信頼と実績を築いてきたこの海洋散骨会社が、新たな取り組みとして始めたのが、ペットも一緒に見送る海洋散骨である。
今やペットは家族の一員であるという認識が、当たり前のように人々の心に浸透している。その想いが「最後までペットと一緒に眠りたい」という人々の願いを生み出すことは、しごく自然なことだと思われる。
「ペットも一緒に散骨できないものだろうか」
いつ頃からか、要望として出てくるようになった遺族からの切なる想いを無視することなく、ブルーオーシャンセレモニーは誠実な姿勢でそれに向き合い、去年から応えられる体制を整えた。ブルーオーシャンセレモニーの散骨プランとしては、代表的なものとして船を一隻貸し切る「チャーター散骨」、一度に数組の遺族が乗船し、乗り合いで行う「合同散骨」、依頼者が散骨に立ち会わず、遺骨を預けて散骨を依頼する「代行(委託)散骨」がある。その中で、今回は遺骨を預けて散骨を依頼する、代行(委託)散骨に同行させていただいた。
船は都会の中にひっそりと佇む桟橋から、徐々にスピードを上げて青々とした東京湾に出た。
視界が一気に広がり、気付けば海面を滑るように進んでいる。船の後部を振り返ると、これまで辿った道筋には、しぶきの名残で形成された微かな白い泡がゆったりと海面に漂っている。
船内には今回お見送りされる故人とその愛犬の遺骨が、美しい花に彩られて祭壇に並べて置かれていた。
故人には身内がいなかったため代行(委託)散骨という形になったそうだが、乗船しているのは死後事務委任契約(※1)をまっとうする村田氏をはじめ数人の関係者だけで、こじんまりとしたセレモニーである。
(※1)人が死亡した際に、葬儀の主宰・行政手続き・家の整理、病院代の清算等、家族に代わって行うことを、生前に誰かへ委任しておくことができる制度。
故人との出会いについて村田氏に尋ねたところ「元々は故人の奥様の散骨を依頼されたのがきっかけで、それ以来のお付き合いになります。奥様を見送られた後におひとりになられて、不安もあったのでしょう。それから色々とご相談に乗っていました」という答えが返ってきた。
相談に乗る中で死後事務委任契約を結ぶこととなり、亡くなられたあとは、本来なら家族が行う整理や事務的な手続きなどを村田氏が代わりに行なってきたのだと言う。死後事務委任契約を結ぶ際には、最後どういう見送られ方が良いのかと村田氏は確認した。すると、三つの大きな望みを打ち明けられた。
「一つ目は、奥様が生前入院していた際に洗礼を受けてお世話になった病院のチャプレンである司祭様に、最後のお祈りをして欲しいというもの。二つ目は、棺の中に奥様のアルバムを入れて欲しい、と。そして、最後のひとつが、自宅に大切に置いていた愛犬の遺骨も一緒に、奥様を散骨した同じ場所に撒いてほしい、というものでした」と村田氏は静かな面持ちで話した。
船の中は窓辺に椅子が並べられ、その側にあるテーブルにはチョコレートやクッキーなどの小さなお菓子が置かれ、コーヒーや紅茶等のドリンクも振る舞われた。故人と愛犬の祭壇を前方に眺めながら、甘いお菓子を頬張る。皆、それぞれ歓談したり、デッキに出て海を眺めたり、思い思いの時間を過ごしている。これから故人の最後の希望を叶えられるのだという想いが、船内をとても穏やかで温かみのある空気にさせていた。
ほどなくすると、故人の一つ目の望みでもあったチャプレンの司祭様より故人の死を悼んで、お話が始まった。続いて、故人を想って祈り、賛美歌の合唱が船内に響き渡る。その間、船は故人の希望通り、妻を散骨した場所に向かって進んで行く。北緯35度34.815、東経139度48.495。一寸の誤差もなく、その場所に着いた時に船はぴたりとエンジンを切った。出発して一時間ほど経った頃だった。
船内からデッキに出ると、そこには海と空しかない。東京にいることを暫し忘れそうになりながら、自然に包まれるような感覚を抱く。エンジン音のない船は、波に揺られるまま海の上で静かに漂っている。
村田氏が故人と愛犬の遺骨、そしてピンクや白の色鮮やかな花びらを大事に抱えて持って来た。遺骨は皆で撒くことが出来るように、水に溶ける環境にも配慮した小さな袋に分けて入れられていた。その遺骨と花びらを手に、司祭様をはじめ、村田氏、関係者と、参列者が順番に海へ埋葬していく。手からこぼれ落ちる花びらは儚く美しい。無数の花びらは潮風に乗って舞い、海面でふわりと広がると故人と愛犬を優しく見送るように、小さな波に乗ってゆったりと漂った。
気付くと薄っすらと広がる雲の隙間から、淡く輝く太陽の光が差し込んでいる。
それを見た村田氏は「天使のはしご」と、嬉しそうに言った。たとえ天気がすぐれない日でも、散骨する時には、こういったことがよく起こるのだという。そこには海と空を隔てるものは何もなく、故人と愛犬が仲良く海から光のはしごを登り、天に召されていく様子が目に浮かんだ。
花びらが漂う海を眺めながら、最後の別れを惜しむかのように船は旋回した。
高らかに鳴らした汽笛は、まるで旅立ちを後押しするかのように参列者の心に力強く響く。汽笛の音が潮風に乗って消えてしまう頃、船はゆっくりと進路を変え、元来た港を目指して再び走り出した。
帰りの船内は行きよりも更に穏やかな空気に包まれた。故人の想いを叶え、愛犬と共にしっかりと天国へ送り届けたという想いが、乗船している全員の心の中にあったのだと思う。
空を舞うカモメをデッキで眺めながら、村田氏も心なしか嬉しそうな表情を浮かべていた。
見送ることを生業とし、人も動物も分け隔てることなく、日々、その死と真摯に向き合う村田氏は、同時に、命の尊さを人一倍感じながら日々を送っているのではないだろうか。
「ペットも家族の一員ですから」と言って微笑む村田氏は、ペットと人を一緒に弔うことで、これからもペットを心より愛する人たちの拠り所となるだろう。
暫くすると船は観光名所でもあるお台場を横切り、潮風が吹き付ける大海原から都会の喧騒が漂う街の中へと戻ると、河川の両脇に高層マンションが立ち並ぶ朝潮小型船乗り場の桟橋へ静かに到着した。
■BLUE OCEAN CEREMONY(ブルーオーシャンセレモニー)
村田 ますみ(むらた ますみ)
1973年 東京都生まれ。
同志社大学卒業後、IT業界、生花流通業を経て2007年に株式会社ハウスボートクラブを設立。東京を中心にパーティークルーズと海洋散骨事業を展開。2014年全国の散骨業者で組織する一般社団法人日本海洋散骨協会代表理事に就任、2015年には日本初の終活コニュニティカフェ「BLUE OCEAN CAFE」をオープンし、終活のトータルサポートを本格的に開始した。著書「お墓に入りたくない!という選択」(2013年 朝日新聞出版)「海へ還る 海洋散骨の手引き」(2018年 啓文社出版)
写真:kashihara maki